てぃーだブログ › 南南西 風力3

2008年03月04日

巨大SNSの断末魔

 2008年4月1日付でmixiの規約が改正されるのだが、その第18条が問題になっている。

第18条 日記等の情報の使用許諾等

1 本サービスを利用してユーザーが日記等の情報を投稿する場合には、ユーザーは弊社に対して、当該日記等の情報を日本の国内外において無償かつ非独占的に使用する権利(複製、上映、公衆送信、展示、頒布、翻訳、改変等を行うこと)を許諾するものとします。
2 ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします。

 つまり「私は自由。民主党を支持する」と書いたものが、名前はそのままに「私は自由民主党を支持する」と書き換えられたまま世界中に「自民党を支持するmixiユーザーの声」として紹介されても、ユーザーは文句が言えない、ということではないか(実際には訴訟を起こすことは可能だが、これはそういう問題ではない)。

 つまり、日記やさまざまな発言(コミュニティでの発言なども含まれる可能性が高い)で書かれた内容は、mixiが勝手に日本国外で公開しても、われわれユーザーは文句を言えないし、しかも「ユーザーは、弊社に対して著作者人格権を行使しないものとします」という一文で、国際条約で保障されている著作人格権をmixiを尊重しないと言っているわけだ。だから内容は適当に書き換えるし、レイアウトやカットアップも自由にやらせてもらうぜ、と言うわけだ。それは動画や写真にまであてはまる。

 まあ、無料SNSソフトもあるようだし、今まで「マイミク」なんてやってた交友範囲のことは、参加者限定の小さな「マイSNS」でやればいいだけのことだ。巨大SNSは、そういうわけで、商売としては将来性がないということになる。SNS会社の株主はこの点をおのおの調べて、よく注意したほうがいいだろう。

  
タグ :SNSmixi

Posted by ディープ川崎 at 10:17Comments(0)通信ビジネス

2008年02月15日

復元力に賭けるという考え方

 どんな建築であれ、最初はプログラミング作業からおこなわれる。たまたまそれを「設計」と呼んでいるだけのことで、荷重計算から使い勝手まで、全部のオーダーを盛り込んでゆく複雑さは、プログラミングというにふさわしいと思う。
 設計情報が残っていれば、確実に解体・復元できる。必要があれば、老朽素材の部分的な更新もできる。これはコンクリート建築にはできないことだ。また、石造建築でもこうはゆかない。石造建築の場合、すべての素材が力関係のバランスに関わっているので、更新したいのはたった一個であっても、実際は相当な範囲を入れ替えなければならないのではないか。また、荷重が大きいから、バラして組み立てなおすには木造建築をはるかに超える労力を要する。
 歴史的木造建築には釘が使われていないものも多い。つまりもはやその建築は、現代の堅牢な建築からみれば「仮設建築並み」なのだが、それが数百年持つのである。いや、プログラムに沿って素材の点検と更新をつづけてゆけば、素材が調達可能なうちは、永久に維持できる。そうでなければ法隆寺が今あの場所に立っているはずがないのだ。
 不思議なものだ。低予算で長期間の使用を前提としない建物には釘や鎹を積極的に使い、接着剤で固定したりする。高予算で長期間使い続ける建物には釘すらつかわず「より仮設的」なものにしてゆく。ほんとうに不思議です。
 これら木造建築をみてみると、頑丈に作ることの他に「できるだけ早く復元できるようにプログラミングする」という考え方があることがわかる。物の老朽化や腐敗を積極的に受け入れる考え方だ。これは建築だけに有効なものではないはずだ。


  

Posted by ディープ川崎 at 07:15Comments(0)韓国

2008年02月14日

崇礼門の焼失にあたり

 韓国・崇礼門の焼失は残念なことだが、木造建築は宿命的に「朽ち果てる素材」を用いているということを忘れてはならない。
 東アジアの歴史的な木造建築は、ほとんどが「解体・復元」できるようになっている。つまり、木材が朽ちても、新しく調達した素材を(図こそないが)設計図の通りに整えて「入れ替えれば」、元の通りになるようになっているのだ。だから釘を使わないのである。
 歴史的な木造建築は、物質的な部分の価値よりも、それを組み上げた技術と知恵とセンスにこそ価値がある。物質はたった2つのライターで燃え尽きてしまったが、その技術と知恵とセンス、そして建設者の魂は焼失されていない。
 幸い、韓国には歴史的建造物の修復に携わった経験豊かな宮大工がおり、また、数年前には数礼門の構造に関する調査がおこなわれ、図面が残っているという。つまり、崇礼門は復元できるのだ。
 日本では金閣寺、桂離宮、唐招提寺などが大規模な建て替えをおこなった。大変な予算と時間がかかったが、その全体修復のための大工道具や塗料、織物などの復元が実施された。つまりここでは、考古学と科学技術の共同作業がおこなわれたのだ。
 そればかりではない。高齢の宮大工から若い建築従事者たちに技術を継承するまたとない機会だ。もしこれらの建築物が朽ち果てることがなければ、それを建設し、修復する技術を継承する機会は確実になくなるだろう。まさに「人が病み、傷つき、死ぬから医学が発達する」のと同じである。壊れることで育つものがあるのだ。
 歴史的木造建築は「物質的な部分」を残すことより、技術遺産を継承し、資材を得る森や海を継承することのほうが大事なのだ。木造建築は、ソフトウエアにこそ、価値があるのだ。
 どうか、観光資源としての復元のために、コンクリートで見栄えだけ再現するようなことだけはしないで貰いたい。時間をかけてでも、ちゃんと時代考証をして「どう建設したか」を解明しながら復元してほしい。そこには最新の科学技術も、文学、哲学なども投入してほしい。一つの焼失をきっかけに、多くの人々が新たな成果を得ることを願うのであります。

(以上のような内容を韓国のKBSワールドラジオ日本語放送に投稿したところ、とてもうれしい評価を頂きました)
  

Posted by ディープ川崎 at 22:10Comments(0)TrackBack(0)韓国